散骨 横浜 No.9

海洋散骨の費用が気になっていましたが

散骨
父は漁師ではありませんでしたが、横浜市の職員としてずっと船に乗って無線の仕事をしていました。
小さい時には家を空けることが多く母から海に出ていると聞いていて、てっきり父は漁師だと思って本当のことを知ったのは小学生の高学年になってからでした。

定年した後も横浜の海が大好きで毎日のように海釣りをしていた父が今回亡くなり、前に一度海洋散骨のことを話していたので母とも相談してその願いを叶えられればと思い海企画さんを見つけました。
心配だったのは費用がどのくらいかかるかでしたが、予想していたよりも安くて家族全員で父の最期を見送ることができて、この度はどうもありがとうございました。
段落

手元供養から海洋散骨をしてもらうことに決めて

最愛の妻に癌が見つかり、余命宣告をされてしまいました。
娘が一人いてすでに就職はしていましたが、まだ結婚はしていなくて横浜の実家から会社に通っていました。
妻は自分のことよりも娘のことを心配していて、私もはじめて自分が死んだ後のことを意識させられました。
妻は余命宣告をされた時は落ち込んで、私も言葉を失って娘も含めてしばらくは家での会話がなくなっていましたが、すぐに妻が気丈に振る舞うようになって自分が亡くなった後のことを考えようと言ってきました。

私は三男なので自分のお墓がなくて、妻もそれに気づいて辛かったと思いますが自分でいろいろ調べて手元供養と海洋散骨のことを私に話してきました。
それまで手元供養という言葉すら知らなくて最初は動揺しましたが、確かに今お墓を建てたとしても私が生きているうちはいいとしても私が亡くなった後はお墓の管理を娘に押し付けることになるので、それならば手元供養にして私が亡くなった時には私たちの骨を二人が大好きな横浜の海に散骨してもらうのが娘にとって一番だと考えました。
散骨
きっとここまで考えることは余命宣告をされている本人にすればかなり辛いことだったと思いますが、妻はすでに海洋散骨をしている海企画さんにも問い合わせていて、妻が亡くなった後で私も連絡させていただくと、骨の一部を散骨することもできることが分かり、葬儀が終わった後に海洋散骨をお願いしました。
娘にも手元供養から海洋散骨をしてもらう流れは説明し納得してもらったので、私が亡くなった時に再び同じ場所に散骨してもらえるようよろしくお願いいたします。
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